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高瀬川一之舟入

  ねぎらい    No.26   2009.2.26

私が月に一度お世話になる東京豊島区にあるカッティングサロンさん
は、 温厚な御主人と優しく愛らしい奥さまが経営されています

もちろん腕も一流で、研究熱心でもあります。

でも私がびっくりするのは、近所に住む80歳近い方などが、時おり
外出先から帰宅途中に顔を見せると「疲れたでしょう、休んでいった
ら」と、お茶を出して、 ねぎらうのです。

なかなか出来ないことですが、それがお互いごく自然なのですよね。

聞けば、お年寄り達(私もそうなので、こう呼ばせていただきます)は、
もっと便利なマンション等に住みたいと思いつつも、この近辺は玄関を
開けて一歩外へ出れば、親しく挨拶を交す人々がいて、なかなか転居
は出来ないとのこと。

私はここには、古き良き戦前戦後の人情が残っていて、いいなぁ・・・
と美容に行く度に思いますし、またオ-ナ-夫妻の暖かいお人柄に
ふれ、寂しいときでも心が明るくなるのです。


   高瀬川一之舟入

   2009-2-takasegawa.jpg

高瀬川は鴨川の西方木屋町通りに沿って流れる小さな川で、1611年
(慶長16)頃、 大堰川(おおい)の疎通などの数々の河川土木工事に成
功した豪商の角倉了以 (すみのくらりょうい1554-1614)が開発したと云
われています。

高瀬川は鴨川の水を引いて、鴨川に平行して京都二条から伏見を経て、
淀川に通じる運河です。
  
江戸時代全期にわたり、「高瀬舟」と呼ぶ川舟が薪炭などの物資を運び、
大坂と京都を結ぶ大事な台所を担っていました。

高瀬舟のことは、森鴎外の小説「高瀬舟」でも知られていますね。

通行する高瀬舟の荷物の上げ下ろしをする船溜所を舟入といい、舟入
は この「一之舟入」を初め、数ヵ所に設けられたと伝えられています。

盛時には日に百数十艘が大坂などの物資を運び入れたとのことです。
  
高瀬川沿いの木屋町通りには、江戸時代の長州藩・土佐藩邸跡碑な
どが立ち、高瀬川「一之舟入」のすぐ近くには、桂小五郎寓居跡「料
亭・幾松」 や坂本龍馬寓居跡(海援隊屯所)の「材木商・酢屋(すや)
などもありますよ。

「木屋町」(きやまち)という町名は、高瀬川沿い近辺には、材木業者が
多かったので付けられたとも云われています。
 
二条「一之舟入」から三条・四条辺りまでは、維新の志士たちが駆け抜
け た面影をしのべ、木屋町のしっとりとした風情と相まってかなり魅力
的ですよ。
 
私は2005年11月に坂本龍馬(1835-67)ゆかりの「酢屋」で木の湯呑み
を買い ましたが、今もその湯呑みでお茶を飲みながらときどき高瀬川
沿いの情緒を味わっております。

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■  日夏もえ子著 「京都の風情 嵐山の魅力」


 


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テーマ : 京都 - ジャンル : 旅行

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