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蛇塚古墳

 日夏英太郎   No25. 2009.2.25

ご遺体をお湯で清めたり、唇に薄く口紅を塗る納棺師を描いた映画
「おくりびと」が静かな感動を呼んでいます。

私はかつて新聞で「エンディングノ-ト」に延命治療の意思、財産、
葬儀方法などを記してホッとしたという方の記事を読んだことがあり、
私もとうに60歳は過ぎており、記入しなければ・・・と思いつつも、
自分の死と向き合うのを避けたい気持が働くのか未だに実行して
おりません。

私の父・映画監督の日夏英太郎は私が生まれて間もなくジャワに
出征して日本に戻らず、長い間消息がつかめませんでした。

母も2度と父に会うことが出来ず43歳の若さで亡くなりました。

17歳の頃から一人ぼっちになった私に知人から「天涯孤独になる
なんて1000人に一人の確立よ」と云われたことがありました

実際そうなのかも知れません。

だからこそ、いつまでも両親への思慕を持ち続けるのかも知れません。

私が日夏英太郎の消息を知ったのは平成12年のクリスマスイヴの頃
父について記した1冊の本「シネアスト許泳の昭和」(ほよん)を手にした
時でしたから、まだ8年ぐらいしか経っていません。

父が私の10歳頃まで生きていてくれたことを知って、ほんとうに
嬉しかった!

日本の植民地時代の朝鮮に生まれ、そして第二次世界大戦という
苦難な時代を生きなければならなかった父の辛酸さが伝わってくるよう
でした。

私は作者の内海愛子・村井吉敬先生に心より感謝しております

そして、「シネアスト許泳の昭和」を携えて、涙ながらに私に手渡して
くださった方にも。

あの時からしばらくして、自分も父の十分の一でも努力たいと思う様に
なり執筆を始め、今日に到っています。


    蛇塚古墳

2009-2-hebizuka1.jpg 

蛇塚古墳は大映撮影所跡地を北西に向かった道幅の狭い住宅街の中に
あります。

朝鮮半島新羅出身の渡来氏族・秦氏の長の墓ではないかと伝えられて
います。

私は2007年6月7日に蛇塚古墳前の古墳を管理されているお宅で鍵を
開けて いただき中に入りましたが巨岩を積んだ石室があり、内側は
空っぽで 石室から外部の住宅が望めました。

蛇塚古墳の石室は高さ約5m・長さ6m・幅4mで7世紀頃の横穴式前
方後円墳と云われています。

当時は、この辺に蛇がいっぱいいたので蛇塚と名付けられたとも・・・。

なお、日本書紀雄略天皇15条には、秦酒公(はたのさけのきみ)が絹
織物をうず高く 積んで雄略天皇に献上し、天皇から兎豆麻佐(うずま
さ)の名前を与えられたとの 記述があり、太秦の地名はこれに源を発
するとも伝えられていますよ。

秦氏は機織・養蚕・酒造・農耕・治水・交易などにすぐれ、秦部を率いて
朝廷に仕え、6世紀には大蔵・内蔵などの財政事務にもたずさわったと
も云われています。

6~7世紀前期の推古天皇朝には秦河勝が出て広隆寺を建て、秦氏は
広隆寺の ほか、松尾大社・蚕の社(かいこのやしろ)・伏見稲荷大社の
創建にも関係があると云われていますよ。


   2009-2-hebizuka.jpg


 

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テーマ : 京都 - ジャンル : 旅行

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