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角屋

私の小学3・4年生のころはまだテレビがなく、転居して繁華街に
住んでいたころ、家から数百メ-トルの所に映画館がありました

私は時代劇を見るのが楽しみで、よく出入lりしていました!

スクリ-ンの下の舞台にかじりついて、私は嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗」
などを観ていました。

正義が悪に敗れようとする時、"鞍馬天狗のおじさんは、正義の味方よ
良い人よ"の音楽がかかる中、さっそうと白馬にまたがった鞍馬天狗が
登場するのです。

みんな拍手かっさいで、私もくいいるように悪人をバッタバッタと倒す
鞍馬天狗を見つめていました。

時代劇は私の小学校時代の憧れでもありました

私の父の日夏英太郎がマキの映画で時代劇の脚本を書いて
いたことを知ったのは、ずっと後のことでした。

  
   角屋

角屋は1841年(寛永18)ごろの揚屋(料亭)建築として著名で、
現在は角屋もてなしの美術館として公開されています。

角屋の間口約15間(30メートル)の木造2階建て格子造(京都の
町屋造)は揚屋町西側に面して整然と佇んでいます。

門口(かどぐち)には太い門柱と冠木(かぶき)、その両脇上部は
最高級の 赤い土壁で飾り、左駒寄せに銀字で「角」と書いた
行灯(あんどん)を掲げ風格と雅を醸していますよ。

角屋は、意匠を凝らした座敷(緞子の間・青貝の間)・臥龍松(がりょう
のまつ)のある庭園・お茶室(曲木亭・清隠斎〔何れも重文〕)などで
世に知られ、当代一流文人・豪商などが集う饗宴の場であったと
伝えられています。

幕末には、西郷隆盛・桂小五郎・久坂玄瑞・清水寺成就院僧侶の
月照などの勤王志士達が角屋を利用し、また新撰組の近藤勇や
芹沢鴨も出入し、2階青貝の間の床柱に残る刀傷は新撰組による
ものと伝えられています。

島原の傾城(官許により遊宴の席で接待する女性)の最高位を太夫
(=こったいさん)と呼び、美貌だけではなく茶湯・花道・詩歌・俳諧・
舞踊・音曲などの教養を身につけていなければ太夫にはなれなかった
と云われています。

太夫は、禿(太夫に従う少女)時代からの努力と研鑽があって得ること
が出来た地位だったとも伝えられています。

六条三筋町時代の2代目吉野太夫(松田徳子・1606-43)と、書にも
秀でた八千代太夫(尊子)がつとに有名で、吉野太夫は後に豪商で
当代一流の文化人と云われる灰屋紹益(じょうえき・?-1691)の妻と
なりました。

 ■  日夏もえ子著 「京都の風情 大覚寺慕情」

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テーマ : 京都 - ジャンル : 旅行

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