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高台寺(ねねの寺)

ジャカルタ近郊のプタンブラン墓地に私の父の日夏英太郎が眠って
います。

平成16年(2004)11月に始めてお墓参りをしてから、4年が経ちました

もう1度行きたいと思いながら、家にミニチュアダックスの老犬(ジュニ
ア-ル)がいますので海外に出かけるのは難しい状況なので、諦めて
いましたが・・・。

それが近年、私の息子がサラリ-マンをやめて、自分の会社を経営する
ようになり仕事でインドネシアに行く機会がもてるようになりました。

昨年12月にも息子が日夏英太郎のお墓参りをしてくれ、今年もプタン
ブランに詣でてくれそうで何より父が喜んでいてくれるのではと想うと、
心がなごむ今日このごろです

   高台寺

東山の山麓、清水寺の北西にある高台寺は、1606年(慶長11)に
豊臣秀吉夫人のねね・北政所(出家して高台院)が夫の菩提を弔う
ために開創したお寺と伝えられています。


造営にあたっては、当時の政治的配慮から徳川家康の多大な財政的
援助もあり、お寺は壮麗をきわめたということです。

たびたびの火災により多くの堂宇を失い、現在残っているのは開山堂、
秀吉と北政所をお祀りしている霊屋(おたまや)、利休の意匠による茶室
の傘亭・時雨亭、表門、観月台などで国の重要文化財に指定されています。

開山堂以外は伏見城の遺構と伝えられていますよ。
 
ねね様(北政所)は山内の住房で5年間の闘病後、還らぬ人となりました。

 ― 76才でした ―

遺骸は霊屋に埋葬されましたが、霊屋は内陣須弥壇に2つの厨子があり、
左右に秀吉と北政所の木造坐像を安置。
 
左の北政所像の地下約6メ-トルに、ねね様は埋葬されていると云われ
ます。

厨子扉と須弥壇の蒔絵装飾は、桃山時代の華麗な高台寺蒔絵として
知られていますよ。
 
ねね様は、秀吉の側室の淀君とは対照的な温順な女性だとも云われて
います。

1598年の秀吉の死後、徳川幕府の時代となり、1615年の豊臣氏の
滅亡・大坂城天守閣炎上をこの高台寺からどのような想いで眺められ
たのでしょうか。

 ■ 日夏もえ子著 「京都の風情 大覚寺慕情」
                 2009-2-koudaiji.jpg

 

 

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テーマ : 京都 - ジャンル : 旅行

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