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詩仙堂

 私は2008年10月2日に詩仙堂を訪れた時、忘れられない出会い
 がありました


 石川丈山のお墓を先祖代々守っておられ、詩仙堂の庭の手入れを
 されている仁右衛門さんにお会いすることが出来たので~す。

 素敵な幾何学文様の久留米絣(かすり)を着て(真新しくみえます)、
 「この格好が一番動きやすいのよ。虫がつかないし久留米はブランド
 なの。戦前お嫁に来たとき持ってきたものなのよ」と爽やかな笑顔

 で話してくれた仁右衛門さん

 「あの山に(詩仙堂背後の中山)丈山先生 が眠っていらっしゃるの」
  と手で指し示して、丈山先生・丈山先生と尊敬し、活き活きと石川
  丈山の墓守とお寺に奉仕される仁右衛門さんに私は深い感銘を
  受けたのでした。


  2008-10-sisendou-iemonsan

           詩仙堂

 詩仙堂は徳川家康の元家臣で、漢詩人として著名な石川丈山
 (1583-1672)が1641(寛永18)年、59歳の時に洛北・比叡山西麓の
   一乗寺村に建てた山荘(隠居跡)と云われます。

 詩仙堂は正しくは凹凸窠と云われ、でこぼこした土地に建てられた
 棲家〔すみか〕の意味で、詩仙堂の建物と庭園は山の斜面に沿って
 作られているそうです。

 詩仙堂は詩仙の間に、丈山が日本の三十六歌仙にちなんで中国の
 漢晋唐宋時代の詩人36人を選び三十六詩仙として、狩野探幽に
 その肖像を描かせて、図上に各詩人の詩を丈山自ら墨書して四方の
 壁に掲げたことから詩仙堂と呼ばれるようになったと云われます。

 丈山は隷書家・作庭家としても知られていますよ。

 蓮華寺・東本願寺渉成園・酬恩庵(一休寺)などの作庭を手がけたと
 云われています。

 簡素・風雅な山門の小有洞(しょうゆうどう)をくぐり、両サイドに
 竹林が空に伸びる参道の石段を一歩一歩登り、老梅関という
 門をくぐると堂上に3階建ての楼のある嘯月楼(しょうげつろう)が
 見えました。

 嘯月楼は月を仰ぎ詩歌を嘯く(うそぶ)という意味があるそうです
 が、一説には丈山が、丸窓や四角窓から反徳川派の動きを監視
 するために設けたのではないかとも云われています。

 1階正面の書院の前面には、白砂と見事に刈込まれた美しいさつき
 と1基の灯籠・もみじの庭園が開けていました。

 さつきの間から庭に出ると、石段を降りた所に丈山が鹿猪が庭園を
 荒らすのを防ぐために考案したという“鹿おどし”(山田の僧都 そうず)
 があり、時おり「ポン」という心地よい音をたてていましたよ。

 石川丈山は、1672年(寛文12)正月に90歳の賀を祝い、3月に床に
 就き、5月23日に亡くなったと云われます。

  ご遺体は、丈山が62歳の時に舞楽寺村中山に用意していたお墓に
  埋葬さ れたそうです。
      
  日夏もえ子著 「京都の風情 嵯峨野物語」

  鹿おどし」

 2008-10-sisendou-sanmon.jpg

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テーマ : 京都 - ジャンル : 旅行

コメント

詩仙堂の鹿おどし

 皇太子殿下浩宮様が世界で惜しまれつつ事故死された【ダイアナ妃】に推奨されて、訪れられたほど、日本庭園の美と言うことで、一躍訪れる方が多かった時が有りました。
大原女姿のかすり姿によくぞ出合わされましたラッキーそして【鹿おどし】の元祖は、
動画で、よくぞ写されましたね。

詩仙堂の鹿おどし

そう云っていただけると、ほんとうに嬉しいです。

私も詩仙堂は、もっとも好きなお寺です!

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