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清水寺 成就院

 昨日、某テレビ局のディレクタ-さんから、私の父・日夏英太郎に関する
 取材の申し出を受けました

 父は第二次世界大戦が始まる前後に日朝合作映画や、戦後のインドネシアで
 「天と地の間で」などの作品を監督したことでも知られています。

 ただ、私が生まれてすぐに日夏英太郎はインドネシアに出征し、戦後も日本に
 戻りませんでしたから、私は父のことはあまり知りませんので、母の花子に
 聞いた僅かながらの父親像をたぐり寄せるしか方法はないかも知れませんね。

 父の消息を知ったのは平成12年ごろ、父について記述した1冊の本
 「シネアスト許泳の昭和」(ほよん)を手にした時でしたから、まだ8年ぐらい
 にしかなっていません。

 日夏英太郎の足跡をたどってくださった作者に感謝するとともに、数年に1度は
 各地の映画祭やビデオ・テレビなどで映画人・日夏英太郎が採り上げられて
 いますので、ほんとうに有難いことと思っております。

 さあ、明日はお掃除でもして8日に備えるとしましょうか!
 
  清水寺成就院

 清水寺の塔頭(旧本坊)の成就院は本堂の北にあります。
 
 防災道路に面したなだらかな道は人影もなく、無縁仏さんが一同に
 集められ佇んでいました。

 表のお参りする人々の賑わいは、ここにはありませんでした。

 成就院は、幕末の勤皇僧として著名な月照上人(23歳で叔父蔵海
 上人の跡を継ぐ)と弟の信海上人が住持した所としても知られています。

 成就院前の一角には、月照上人・信海上人の歌碑と西郷隆盛の詩碑が
 建っていました(北総門の正面)。

 成就院は応仁の乱の兵火にあった清水寺を復興した願阿上人によって
  文明年間(1469-87)に創建されたと云われています。

   1629年(寛永6)に類焼し、現在の建物は1639年(寛永16)に東福門院
 (徳川和子・2代将軍秀忠の娘)の援助で再興されたと伝えられていますよ。

   兄の家光は清水寺堂塔を1633年(寛永10)に再建。

  また、成就院は、明治から大正・昭和と清水寺中興開山の大西良慶和士
( 1875-1983)が住坊とされ、早朝法話を開かれて多くの老若男女がその尊
 いお話に耳を傾けた場所でもありました。

  書院背後には、“月の庭”と賞される成就院庭園(国の名勝)が美しく開けて
  います。

  成就院庭園は 池泉観賞式の江戸時代初期を代表する庭園で、相阿弥
  作庭を小堀遠州が補修したという説と連歌師の松永貞徳が作庭したという
  2説があるそうです。

  庭園の面積は約1500平方メートルで、そう大きくはありませんが音羽山や
  高台寺山などを借景にして、山腹に1基の石灯籠を立て遠近感を強調して
  いると云われています。

 美しい池泉の西には、小島と中島とが左右に浮び、さらに橋が渡され
   築山があり、見事な石組みが配置されていました。

   池泉手前の豊臣秀吉寄進と伝えられる誰ガ袖手水鉢(たがそでちょうず
 ばち)、中島の蜻蛉灯籠(かげろう)・烏帽子岩、小島の籬島石(まがきじま)、
 池右端の手毬灯籠(てまり)などは、名品と伝えられていますよ。

    日夏もえ子著 「京都の風情 嵯峨野物語」

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テーマ : 京都 - ジャンル : 旅行

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