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東寺五重塔

先程TBSテレビで「渡る世間は鬼ばかり」を観ました

脚本家の橋田寿賀子氏は、人間の機微と辛らつさ、そして愉快さ
などを描いたら天下一品の方なので、文章を書く上での参考にさせ
ていただいてもおります。

橋田さんは京城(現ソウル)のお生まれで、戦後松竹大船で脚本を
書いていらしたそうです。

私の父・映画監督の日夏英太郎も戦前に松竹下加茂に籍を置いて
時代劇の脚本を書いていました。

また日夏英太郎が、日朝満合作映画「君と僕」のメガホンを撮った
ときの舞台も京城でありましたので、とても橋田さんに親近感を
もたせていただいております。

こんなに皆様に「渡る世間は鬼ばかり」が長く愛される秘訣は、
映画界で研鑽をつまれたことと無関係ではないような気も致します


  東寺五重塔(国宝)

桓武天皇は平安京造営に際し796年(延暦15)に国家鎮護のため、
羅城門をはさんで朱雀大路(幅員約85メートル)の東西に官寺・
二寺を建立しました。(東寺・西寺) 

東寺は823年(弘仁14)に、嵯峨天皇から東寺を下賜された弘法
大師空海が真言宗の道場とした名刹と云われます。
 
東寺は南大門(重文)を入って金堂(国宝)・講堂(重文)・食堂が
南北一直線に並ぶ伽藍配置です。

仏舎利を納めた五重塔を東南角に、灌頂院をその反対側の西に配置。

東寺五重塔は高さ54.84mで古塔では日本で一番高く、1644年(正保
元)に徳川家光が再建したと伝えられていますよ。 
 
最初の塔は、空海の在世時に着工され完成までに約50年を要する難
工事でしたが僅か4年後に落雷のために焼失し、その後も再三にわた
り落雷の災にあい、現在の塔は5代目だそうです。

五重塔は石壇上に立つ、各層3間四方、和様の復古建築です。

初層内部は板敷きで中央に須弥壇を設けて格天井を張り、周囲の板壁
に真言八祖像、扉に護法八天、柱・天井のいたるところに文様が極彩色
で描かれていると云われます。

初層の軒下四隅に、邪鬼が踏ん張って支えていました(縁の下の力持ち)

なかなか微笑ましかったですよ。

 ■ 日夏もえ子著 「京都の風情 嵯峨野物語」 

       
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テーマ : 京都 - ジャンル : 旅行

角屋

私の小学3・4年生のころはまだテレビがなく、転居して繁華街に
住んでいたころ、家から数百メ-トルの所に映画館がありました

私は時代劇を見るのが楽しみで、よく出入lりしていました!

スクリ-ンの下の舞台にかじりついて、私は嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗」
などを観ていました。

正義が悪に敗れようとする時、"鞍馬天狗のおじさんは、正義の味方よ
良い人よ"の音楽がかかる中、さっそうと白馬にまたがった鞍馬天狗が
登場するのです。

みんな拍手かっさいで、私もくいいるように悪人をバッタバッタと倒す
鞍馬天狗を見つめていました。

時代劇は私の小学校時代の憧れでもありました

私の父の日夏英太郎がマキの映画で時代劇の脚本を書いて
いたことを知ったのは、ずっと後のことでした。

  
   角屋

角屋は1841年(寛永18)ごろの揚屋(料亭)建築として著名で、
現在は角屋もてなしの美術館として公開されています。

角屋の間口約15間(30メートル)の木造2階建て格子造(京都の
町屋造)は揚屋町西側に面して整然と佇んでいます。

門口(かどぐち)には太い門柱と冠木(かぶき)、その両脇上部は
最高級の 赤い土壁で飾り、左駒寄せに銀字で「角」と書いた
行灯(あんどん)を掲げ風格と雅を醸していますよ。

角屋は、意匠を凝らした座敷(緞子の間・青貝の間)・臥龍松(がりょう
のまつ)のある庭園・お茶室(曲木亭・清隠斎〔何れも重文〕)などで
世に知られ、当代一流文人・豪商などが集う饗宴の場であったと
伝えられています。

幕末には、西郷隆盛・桂小五郎・久坂玄瑞・清水寺成就院僧侶の
月照などの勤王志士達が角屋を利用し、また新撰組の近藤勇や
芹沢鴨も出入し、2階青貝の間の床柱に残る刀傷は新撰組による
ものと伝えられています。

島原の傾城(官許により遊宴の席で接待する女性)の最高位を太夫
(=こったいさん)と呼び、美貌だけではなく茶湯・花道・詩歌・俳諧・
舞踊・音曲などの教養を身につけていなければ太夫にはなれなかった
と云われています。

太夫は、禿(太夫に従う少女)時代からの努力と研鑽があって得ること
が出来た地位だったとも伝えられています。

六条三筋町時代の2代目吉野太夫(松田徳子・1606-43)と、書にも
秀でた八千代太夫(尊子)がつとに有名で、吉野太夫は後に豪商で
当代一流の文化人と云われる灰屋紹益(じょうえき・?-1691)の妻と
なりました。

 ■  日夏もえ子著 「京都の風情 大覚寺慕情」

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西本願寺 唐門(日暮門)

西本願寺は桃山文化の宝庫とも云われています

私の執筆しているメルマガ「もっと知りたい京都」100号到達
(4月末予定)までに、是非西本願寺を採り上げられたら・・・と
思っていましたが、平成大修復の御影堂(重文 ごえいどう)が
完成し、5月に完成の法要が行われるともお聞きしましたので、
残念ながら間に合わなくなりました。

やっぱり御影堂を拝観させていただいてから書きたいですもの

「もっと知りたい京都」は101号から簡潔な文章に移行する予定
ですので、見所満載の西本願寺を記述することが出来るのか、
ちょっぴり不安なので~す。

 西本願寺 唐門(国宝)

境内南端、北小路通りに面して絢爛豪華な入母屋造・檜皮葺の
唐門が立っています。

唐門は伏見城の遺構と云われ、大徳寺・豊国神社唐門と共に桃山
建築を代表する秀作と云われていますよ。

表側・裏側の透彫は中国の張良(ちょうりょう)と許由(きょゆ)の故事を
図柄に採り入れているそうです。

(馬に乗っている人物(黄石公)の沓が片方脱げて無い。張良が沓を
持ち捧げている。黄石公が張良を試すため何回か沓を投げ捨てた
そうな。張良の先祖は漢の人。
後に張良は黄石公から太公望の兵書を授けられ、漢の皇祖に協力
して天下を統一したと云います)

唐門はゆっくり見ていると、日が暮れるのを忘れるので日暮門とも
呼ばれています。

また、麒麟の図柄をキリンビ-ルが採用した?とも云われていますよ。

 
      メルマガ 「もっと知りたい京都」
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